最終更新日2017/08/05
はじめに、ニート乞食である"私はそう思う”という意見であることを書いておきます。
本当はこのような記事を書くつもりはなかったのですが、想いを吐き出せる場所や相手がいないことが辛く、書かせていただきました。
私の場合、現時点では衣食住に不自由のない生活を送れているしその点については両親に感謝しています。
ではどこが ”環境が悪い” のだろう。
それは物質的には不自由がなくても、精神的に満たされることがないからである。
引きこもって好きな事が出来るんだから楽しいでしょう、働かずに生きれて何が不満なの?そう思われるかもしれない。だけど残念ながら私はまったく楽しくない。
趣味もやりつくしたし、朝起きてから寝るまですることなんてない。ただなんとなくネットを見てなんとなくテレビをつける。
見たいからじゃなく他にすることがないからである。
何かしなきゃ!と一時的に奮い立つ事もある。しかし「何をしようか」「どうしようか」と考えているうちにいつの間にか時間が過ぎ、気付いたら寝る時間になっている。
ああ、今日もダメだったと。
そんな日々が続くと更にやる気をなくし、自分の感情や目標もよくわからなくなる。
何のために生きているんだろうと思うようになる。
「こんな人間でものうのうと生きれるような環境が悪い」と私は思う。
「何のために生きているのか」きっと誰しも一度は考えたことがある問題であるだろう。でも明確な答えはきっとわからない。
ただ楽しく生きていきたいな、とは思うんだ。
しかし、ニート、乞食をしていても楽しいことなどないよ。(少なくとも私にとって。)
本当は美味しいものを食べたり、きれいな景色を見に行ったり、人と話したり、一緒に何かをやり遂げたり、壁にぶつかったとしても、自身の努力により成長を感じたり、そういった経験がしたい。
だけどこのニート乞食という環境ではそういった事はなかなか見つからない。
食事は食べられれば何でもかまわないし、動くことが億劫になる。
親には諦められているのか無関心である。人との交流など皆無と言えるだろう。
努力をする必要性もないから、すぐ近くのベットでただ眠るだけ。
それは楽しく生きる事とはかけ離れた生活である。
この環境にいる限り、それは続いていくものだろうと考えられる。
このままじゃ何も生まれない。そういった意味で、この環境は悪いと思う。
それを変えるためには自分から動かなきゃいけないだろうと思う。
例えば、友人に連絡を取ってみたり、美味しいものを食べにでかけたり、何処か目標を決めてそこまで出かけてみたり。 職業訓練や、語学や楽器を習いに行くのもいい。
環境を変えるために、何でもいいから自分から動こう。
きっと私の想像もできない事情で、ニートや乞食をしていらっしゃる方もいると思う。幸せにその生活をしてらっしゃる方もいるかもしれません。そんな方々に不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。一個人が自分を振り返って書いた落書きです。
2017/08/05追記
アルバイトに一歩踏み出してみたら少しだけ毎日が楽しくなりました。辛いことがあるから楽しい事もあるのかもしれないと思うようになりました。
ここまでお読みくださりありがとうございました。